なんでもかんでも一方通行

どっかのオタクがお気持ち表明してたり感想書き連ねてたり。

2ヶ月半だけ愛したきみへ

拝啓 萌木悠衣様

 

お元気ですか。

僕は今のところ元気・・・じゃないです。まあ僕の体調はさておき、

貴女が突然いなくなってからというもの、自分なりに気持ちの整理をつけてきたつもりではありましたが、結局あれから半年以上経っても、未練たらしくこうしてブログを書くまでに至ってしまいました。

 

 

貴女と出会ったのは2023年の10月13日、紛れもなくこのプロジェクトが始動した日です。

僕は当時、小森結梨さんと樫野凪さんしか知らなかったし、この2人とチェキを撮って帰ろうと思って開演前に券を購入していました。

 

4組目のfreak and Cのパフォーマンスが始まった時、僕は貴女に心を奪われました。

 

3人組の中で一番小柄なのにすっごいアグレッシブに動いていて(もちろん青生さんと桃橋さんも必死に頑張ってたヨ!)、一番目に留まったのが緑色の貴女でした。

サラバ、愛しき悲しみたちよ」と「ハレ晴レユカイ」を歌って踊るのがとっても素敵で最後まで印象に残り続けました。

始まって数十秒くらいで僕はペンライトの色を緑に変えて振ったし、全体曲が始まる前のメンバー紹介ムービーが流れたときに「あの時の子は萌木悠衣って言うのか!」とそこで覚えて、すぐTwitterをフォローしました。

終演後に一目散に受付へ行って萌木悠衣と書かれたチェキ券を買って撮りに行った時、こちらが声を発する前に「緑色振ってくれてましたよね!?」と覚えていてくれたのが多分、お互いの最初のやり取りだったと思います。

 

 

 

僕はこういうイベント、地下アイドルっぽいところに来たこともなかったし、プロジェクトの最初も最初って現場に立ち会ったこともなかったから、この瞬間心に燃え上がるものができて

「推しを”見つける”ってこういうことなんだ!」「俺が支えてみせるぜ!」と野望のようなものがみなぎってきていました。

 

さらに貴女が岐阜の出身だと知った時、ちょうど仲の良いオタクにも岐阜出身在住がいるので、いつか連れてきますよ!と約束したしオタクにもお前来いよと説得して、その約束は来年の年明け一発目の定期公演で果たされるはずでした。

 

すっかりツボミシンフォニーにハマった僕は次の定期公演で会うのが本当に楽しみで、貴女がツイートするたびにそれはそれは嬉しかったし、インスタのストーリーにDMしたらリアクションで反応をくれたときには最高の気分でした。

 

11月3日の定期公演で「とばつるさんが中日弱いってツイートしてるの見ましたよ」って言われてとってもびっくりしたし、お互いめっちゃ笑いましたねあの時。

とばつるだから鶴のポーズ!とか提案してくれて、今まで考えたことなかったものを次々と発案してくれて嬉しかったです。

 

結果的には11月のこの定期公演、2回目の接近が僕にとって「萌木悠衣」がどういう人なのかが固まったし、これからもっともっと応援していこうと強く思いました。

貴女のことを考えている時間が楽しかった。

ボーっとしてるとチェキ撮ってお話してた30秒間を思い出すくらいには。

 

 

23日の勤労感謝の日はH4Kとフリクシのソナタ公演で、初めて僕はソナタ公演に参加することで全体衣装ではないユニット衣装でチェキが撮れる日でした。

前日に色々あって、もちろんそんなことは個人のことなので表には出さずにいつも通りフラッとチェキ撮りに行ったら、ポーズを提案する前に

「ポーズやりたい事があるんですけどいいですか?ちょっと座ってください」

「とばつるさん元気なくて来てくれないかと思ってたから~!」

と慰めのポーズをしてくれて、僕は本当に情けないと思いました。

これからは見られても恥ずかしくないツイートをしようと思いました。

 

 

このチェキは今もスマホケースに入れて持ち歩いています。

落ち込んだ時に元気になれるので。

 

 

12月4日はインスタライブをしてくれて、気軽に交流できて楽しかったです。

ぬか漬けの歌は今でも脳裏に焼き付いています。

 

12月8日の定期公演。4回目なのにもはや顔馴染みのような接し方になって、中日ドラゴンズの話をしたり、ぬか漬けの歌うたったら「完璧~~~!!!!」とお褒めの言葉をいただいたり、前回のソナタ公演で贈ったハンドクリームを使ってくれてる話したり、本当に幸せでした。

何より、僕の誕生日を祝ってくれましたからね。

 

それに制服風の新衣装もとっても可愛くて、定期公演だとこの衣装ではチェキが撮れないから、僕は「12月28日に行く」と約束しました。

 

翌日のことでした、貴女が夢に出てきたのは。僕の誕生日当日です。

僕の家にぬか漬けを持って来てくれる夢を見ました。

慌てて跳び起きて朝6時にツイートするくらいには嬉しかったです。

こんなことがあるんだなあと思いました。

結局、想う気持ちがどんどん強くなってきていることは明らかで、

こんなにも好きが溢れることってあるんだ、と思って。

早く次の公演に行きたい、早く貴女に会いたい、でも平日に行くのはやっぱり厳しかった。

会えないけどツイートやストーリーがあると嬉しかった。

 

ぬか漬けづくりも見ていて微笑ましかったし、自分も作ってみよう!とか思ってました。

アボカドとかトウモロコシのぬか漬け作る声優聞いたことないし、素敵でした。

 

ひとつひとつの小さな活動が木のようにすくすく育っているのが少しずつ実感できていました。

 

ツボミシンフォニー劇場発ではそろそろフリクシの担当回が来そうなので、おたよりもたくさん出そうと思っていました。

来年からは10秒動画やワイドチェキも撮れるという発表もあったし、早く10秒動画ほしい!!と心待ちにしていました。

チェキに日付だけじゃなくてコメントも書いてくれるようになるから、楽しみにしていました。

3月は岩手に行く用事もあるし、お土産買っていこう!とか考えていました。

春先は僕の仕事が閑散期だから、平日のソナタ公演いっぱい行けるよ!って伝えていました。

自分の誕生日を祝ってもらったのだから、貴女の誕生日には何を企画しようかな、何をプレゼントしようかな、そんなことを早くも考えていたり、

2024年、やりたいことがたくさんありました。

 

ツボミシンフォニーもまだまだ始まったばかりだからこれからどう展開していくのかなとか、

いつかユニットオリジナル曲ができたら・・・とか、

チェキだけじゃなくて色々なグッズも今後出るのかなとか、

一声優として、役者として成長を見届けたい・・・

2024年、楽しみなことがたくさんありました。

一緒に見たい景色がたくさんたくさんあった。

 

 

「小さなツボミからいつか大きな花が咲きますように」僕もそれを願っていました。

 

 

 

 

 

12月27日、一足早く仕事を納めて退勤しようとした午後6時、悪夢のような報せが舞い込んできました。

 

体調不良で明日の出演は無し

 

 

僕は4日遅れで渡すはずだったクリスマスプレゼントと、「年が明けたら封を開けてね」と書いた年賀状を持って途方に暮れていました。

とはいえこの時はまだ、「インフルエンザとかコロナかな」と考えていたし、28日がなくてもフリクシは年明けすぐ1月4日のソナタ公演に出演予定でした。

チケットの払い戻しもないので、28日は予定通りソナタ公演に参加し、僕は緑色のペンライトを振りました。

公演の最後には客席のみんなで緑にしたし、フリクシとチェリベの子たちも「緑色に染まってたよ~って伝えとくね~!」ってステージで言ってたし、早く元気になってほしい、そう思っていました。

フリクシのメンバーとチェキを撮った時に桃橋さんから「もゆいがごめんね~って言ってたよ~」って伝言を授かったし、年明けのソナタ公演には来るだろうと思っていました。

 

翌日から冬コミが始まり、僕は会期中の宿に銀座キャピタルホテルに泊まることがあるのですが、隣の建物が「萌木」なんですよね。

 

その前で写真撮ったりなんかして、しょーもないけど年明け会った時のネタ作りに・・・とか思って。

でも29日も30日も、何もアクションがなくて、ちょっと心配でした。

今まではエゴサをしてすぐにいいねをくれるはずだったのに、ずっとなんの反応もなくて、いつしか胸騒ぎがしていました。

 

 

 

 

 

31日、大みそかの夜8時。僕はコミケの打ち上げで居酒屋にいました。

 

 

突然スマホの通知がたくさん来て、見るとオタクからメンションが飛んできていました。

僕の知り合いたちは、僕が12月29日から31日までの間忙しいことを知っていて、よほどのことがない限りdiscordでわざわざメンションを飛ばさないはずなので、何か嫌な予感がしました。

そして、「ツボミシンフォニーから大切なお知らせ」が目に入りました。

そこからの記憶はないです。

 

でもあの瞬間を思い出しながら今この部分を記述していると、今でも動悸がしてしまいますね。

あまりにも突然顔面蒼白になる僕を見て心配した方々に事情を話すと「外の空気当たってきた方がいいよ…」と言われ、しばらく店頭で虚空を見つめていました。

奇しくも、その時一緒に飲んでいた人たちには普段から「フォロワー200人くらいの新人女性声優を追っていて…」と話しており、チェキを見せたりしていて、その矢先の出来事でした。

 

忘れられない年越しになったのは言うまでもありません。

帰りの電車で一生「適応障害とは」で検索していて、年を跨いだ実感がないのです。

 

 

今思えば、年末年始に合わせて休みを取るなんて甘えたことせずに、12月14日のソナタ公演に行けばよかったと、激しく後悔しています。

僕は12月8日に貴女と最後に交わした言葉を覚えていないのです。

 

28日に行くと約束したから

また来年があると思ってたから

あれが最後だなんて思ってもいなかったから

 

 

冷静に脱退理由を見返したときに、すぐにオタクである自分を疑い始めました。

こういうことはだいたいファンに原因があるからです。

大前提として、一般人は自分自身が崇拝されるという経験をまずしません。

しかし芸能界に入ると自分の行動が、言動が、誰かに影響を与え、色んなものが動いていく

女性声優、アイドルのみならず業界で一般のファンがつくとそうなるという事実

これに圧し潰された結果がこれを招いたのではないか?と考えれば考えるほど自責の念に駆られました。

 

僕は常識の範囲内で貴女を応援していたつもりではありますが、そんなの当人がどう感じるかだし、少しでも感じたストレスは膨張するとあっという間に人間の心が耐えられるキャパシティを超えてしまう

僕は何か取り返しのつかないことをしてしまったか?と年始の間ずっと考えていました。

 

今更どんなことを言おうが、そもそも僕は医者ではないので何も分かりませんが…

ただ、僕の時計はまだ2023年12月31日の20時で止まっています。

 

もう一度会いたいなんて高望みは口が裂けても言えない、言っちゃいけないけど、心のどこかではずっと引っ掛かり続けています。

 

僕はこんな経験をしたことがないからこの気持ちの昇華の仕方が分からないのです。

地下アイドルってやっぱこういうこと日常茶飯事なのかな?

 

 

 

 

この文章を書いていたのは6月の頭のことでした。

ぼんやりと5月ごろから思いついた言葉を並べて、伝わるように文章を再構成して段落の順番を入れ替えたり切り取ったり、そんなことをしていたら6月14日の定期公演の日がやってきました。

今日は新しい全体衣装がお披露目される日。ユニットごとの曲が終わって、なんだか幕間の映像も変わってて、可愛らしい衣装に着替えたメンバーたちはとても綺麗で・・・そんな考えが吹き飛ぶくらいの出来事が直後にありました。

 

 

 

 

 

最後にそれが発表された時、僕は不思議と・・・スッと受け入れた自分がどこかにいました。

呆然とはしたけれど、「そうか・・・」としか思うことができなかったのです。

 

卒業と聞くと、どうしても真っ先に「萌木悠衣」の名が頭に思い浮かびました。

もし、もし貴女も表に出られる状態でユニットを去るのなら、みんな元気でね!で終わることができたのかもしれない、とか。

比較するなんて絶対間違っているけれど、あまりにも矢先の出来事だったので、ごめんなさい。

僕の場合は覚悟する時間がなかったから、どうしてもそう考えてしまう部分があって、

でも今応援している綾城実優さんに対しては、後悔しない最後にしようと前向きに思えることはできて。

それは誰がどうだからということじゃなくて、自分個人の考えです。

貴女との別れはとても辛いものだった。今回のも辛くないと言うのは嘘だけど、今回は何かをする時間が作れる。

 

こういう業界なので、過去には良くはない去り方をした声優もいたりしました。

しかし、貴女にも他のメンバーにも非は一切ない。何も悪いことはなかったのですから。

 

 

僕が今まで応援していた声優さんの中に、廃業という理由で事務所を退所した方がいました。

でもその人のことは晴れやかな気持ちで送り出すことができた。

きっとどこかで元気にやっているはずだろう、だから自分も頑張ろう!そう思える終わり方で、今も「あの人は凄かったんだよ!」とオタク同士で堂々と思い出話に花を咲かせられる、そんな最後でした。

でも貴女との終わり方はそうじゃなかった。とにかく突然で、あまりにも心配になるような理由で。

 

こうして未だに未練たらしく貴女を想い続けることは世間一般からしたら害でしょうし、気持ち悪いと言われてもおかしくはないですし、辞めた声優に粘着を続けるストーカー予備軍と言われたら言い逃れはできません。

ましてやこんな文章を全世界に公開している時点で自己顕示欲の塊です。ごめんなさい。

 

そして現にツボミシンフォニーの他のメンバーたちはこうして活動を続けていますし、全体曲に「咲き誇れ」という2曲目が増え、このように全体でも新衣装ができて、フリクシの2人も今年に入ってからは対バンへの出演や新カバー曲の披露など、日々頑張り続けています。

僕が貴女を想い続けることは今後のツボミシンフォニーの活動にとってマイナスではないかと日々葛藤していました。

 

忘れるのが正しいことなのか?

いたことを語り継ぐべきなのか?

 

 

ですが、この疑問に対しての明確なアンサーを示してくれた子がいます。

 

 

まず1月の定期公演で樫野凪さんが「悠衣ちゃんがいなくなっちゃったからとばつるさん大丈夫かなって…」と心配してくれて、その時に僕は「大丈夫です」と返事をしました。

そして6月の定期公演でも、あの発表があった直後の特典会で開口一番、樫野凪さんに「ずっと応援してほしい」と言われました。

僕は「来月も再来月も、来年も再来年も来ますよ」って答えました。

 

その日の夜、綾城実優さんがインスタのストーリーでこんなことを言っていました。(引用しちゃってごめんなさい)

 

 

 

「誰かがいなくなるってなったときに、触れちゃいけないとか、忘れなくちゃなのかなとか、思わなくていい」

 

 

 

僕はその言葉にすごく救われて、安心して、一つ胸のつかえがとれたような気がしました。

僕の方が深く考えすぎたのかもしれませんね。

 

たしかに、年明けすぐは2人のフリクシを見るのが寂しかったし、受け入れられなかったけれど、それ以上に寂しいのは青生さんと桃橋さん自身だろうから、客である側がいつまでも落ち込んではいられないですからね。

萌木の分まで頑張る2人を見届けるのが使命だと思っているから。

 

偶然にも、6月の定期公演の前、5月30日に半年ぶりに「フリクシとH4K」のソナタ公演がありました。

しかも、フリクシは当時のユニット衣装で。

青生さんと久々にチェキを撮って「そっか、ずっと来てくれてるもんね」って話になったりして、色んな事を考えました。

 

でも、わがままを言わせてもらうと、

 

もしこのステージにもう一人いたら…

他の2人が配信をやっているように、インスタライブも定期的にやっていたのかな…

この曲のカバーはどう歌っていたかな…

シーズンが開幕したら、特典会で野球の話して笑い合ってたのかな…

そう考えてしまうことをどうか許してほしい。

 

 

僕は貴女に出会う何年も前から応援していたとある声優がいました。

その子は別に今でも活動を続けていますが、長く続いた冠番組が終了するというので、僕が音頭を取って寄せ書き色紙の企画をしました。

時間がとにかくなかったので、他のことは忘れてこの企画に全集中していた時期がほんの数日だけありました。

そんな数日間に限って貴女は僕の夢に出てきました。

まるで忘れてほしくないとでもいう風に

 

僕は多くの女性声優を追いかけているし、きっとこの先も色んな女性声優に出会って、もしかしたら貴女のこと以上に好きになる子が出てくるかもしれない。

その方が、一般的にはいいのかもしれないですけどね。

 

 

先日、貴女がツボミシンフォニーに加わるよりもだいぶ前に名前を出してCVを務めたゲームをプレイしました。

https://studio-thursday.work/chigau+/

www.4gamer.net

 

CV:萌木悠衣

 

一般からの目に見える部分では恐らくはじめて世間に名を残した作品なんじゃないかと思います。

貴女の声が聴けるのがもうこのゲームの中だけだと思うと、胸が張り裂けそうな気持ちになります。

 

天満橋流美、とっても素敵な役でした。

偶然にも、何か似たようなシーンがあって、ちょっと色々なことを思ってみたりもしたけど、こんな稀有な才能を持っている貴女のこれからが本当に楽しみだった。

 

 

重大な決断を下したこと、その選択が良い方向に向くよう祈ることしかできません。

難しい病気であることは重々承知しています。

素人の僕からできることはなにもありません。

その無力感に打ちひしがれて、何も手につかない時期もありました。

なぜこんなことに…どうしたらよかったのか…なんて考えてもしょうがないんですけどね。

 

でも一つ確実なのは、貴女の人生もまだあと何十年も続くから、そのことを想えば、少しでも楽に生きる方法を選ぶのは決して間違っていないと思います。

 

僕は貴女と過ごした2ヶ月半を忘れたくない。

10月13日から12月31日までの間、79日。

いつまでもその記憶を大事にしたい。

人生を80年と仮定すると、79日って一生のうちの0.3%未満らしいですよ。

でも1日だろうと1時間だろうと、1分だろうと1秒だろうと、絶対に忘れないことってあると思うんです。良いことでも悪いことでも。

だから僕は貴女の歌う姿を、踊る姿を、たった数十秒の会話を忘れない。

慰めてくれたことなんか特に一生忘れたくない。

なのに脳みそって残酷なことに、あの時の声とか表情がだんだん記憶の中から薄れていく。もう上書きされることなんかないのに。

 

だから、僕が生涯の中で岐阜県に行くことがあったら、「そういえば岐阜出身の子がいたなぁ」って思うかもしれないし、

中田翔が打席に立つたびに「そういえばちょうど中日に移籍したころ、話を振られたなぁ」って思うかもしれないし、

ぬか漬けを食べるたびに「そういえば毎日食べてる子がいたなぁ」って思うかもしれないし、

萌木色を見るたびに「萌木って名前の子がいたなぁ」って思うかもしれない。

 

そうやって今もどこかで頑張っている貴女に思い馳せて前を向いて行きたい。

こんな身勝手なファンでごめんなさい。

 

 

ツボミシンフォニーがこれからどうなっていくか僕には分からない。

もしかしたら全然違う形になっていくのかもしれない。

でも、卒業だとか活動終了って決して悪いことではないしマイナスなことではないと、僕は思います。

どうしても今は、ネガティブな方向に考えてしまいがちですが…

最初の14人のままうまくいくってのはこういうアイドルプロジェクトでは難しいだろうなってやっぱり思うし、

でも我々にできることは示されたものに従う、それだけですから。

受け入れられない現実もあるけれど、追いかける以上の運命であることは最初から覚悟していたつもり・・・つもりです。

いざ別れの時が来ると、そりゃ寂しいし、辛いし、悲しいですけど。

この「ツボミがいつか花開くように」というコンセプトのプロジェクトに、賛同って言い方は変ですけど、僕もがむしゃらに応援してきましたし、これからも応援していきます。

最近、僕の友達も何人かAKIBAカルチャーズ劇場に来て、メンバーとチェキ撮ったりしてるんですよ。

紹介したかったな。

 

 

 

春先に新緑が萌え出るような緑色だから、萌木色。

悠衣、あなたの春はどんな春だった?

 

実は僕、あなたに出会うずっと昔から緑色が好き。特に理由はないけど、とにかく緑色が好きな人間でした。

だから最初に見たときに、運命なのかもって感じたのかな

 

どこかの歌詞じゃないけど、出会えたことから全ては始まったんだなって、たまに考えます。

本当に短い間だったけれど、応援できて楽しかったし、嬉しかったし、確実に僕の人生に刻まれてるから。

 

ありがとう、その感謝を直接伝えられないのが、本当に残念でなりません。

ごめんなさい、あなたとの約束を果たせなかった。

そしてもし、あなたが夢を諦めなければならなかった理由がファンにあるのなら、謝っても謝りきれない。

 

僕は何者かになりたかったのかもしれない。

それはあなたにとっての何者かではなく、この世界の何者かという意味。

居場所を求め過ぎたのかもしれない。

自分が認められていると誰かに思ってほしかったのかもしれない。

承認欲求に利用していたのかもしれない。

何が正解だったのかが未だに分からない。

やり直せるなら、やり直したいですね。10月13日から。

 

 

年が明けて、事務所に最後に送った手紙とプレゼント、ちゃんと手元に届いていることを信じています。ちょっと今日のこれと内容被ってる部分もあるかもしれないけれど。

今思えばもっと最後らしい何かを贈りたかったのですが、自分の中であの時、ほんの少しだけ最後にしたくない気持ちがあったから、当時渡す予定だったクリスマスプレゼントをそのまま贈ってしまったのかもしれません。

本当にわがままでごめんなさい。

でもこれだけは言わせてください。

 

どうか自分を大切に生きてください。

どこかで元気に生きていてください。

あなたが声優として確かに活動をしていた時間、

アイドルとして活動していた時間、

その事実に揺らぎはないですから。

胸を張って誇れることだと思います。

 

違う道でも頑張れ!だなんてとても気安く言えないけれど、僕はあなたが選んだ場所で穏やかに生活しているのを信じているし、祈っています。

 

 

 

誕生日おめでとう。

ずっと大好きです。

 

 

とばつるより